『読むアニメーション』とヤマハエレクトーン発表会と『宝島』


昨日は藤幡さんの展示を見た後、アップリンクへ行き『読むアニメーション』創刊号発売記念イベントを見てきました。

メインは山村浩二さんの秘蔵映像の上映だったのですが、その前にju seiというデュオのライブがあり、それがまたすごく良かったです。こういうハチャメチャな事をやろうとしている若者がいる音楽界を羨ましく思っちゃいました。アニメーション界にもハチャメチャでそれでもちゃんと下地に確かな基礎力を持っているような若手作家が出てこないものですかねえ。自分がそうなれるものならなりたいものですねえ。

ライブが終わりメインイベント。山村さんが学生時代に制作した作品やお仕事で作ったアニメーションを和やかなムードの中上映、こんな仕事もしてたんだ!と驚いたり、意外と手を抜いてないぞと感心したり。いつか子供向けのものを真剣に作ってみたいという欲求がまた一つ大きくなりました。

「実はあんまり考えていない」なんて言ってたけど、考えてますよねー。本当に何も考えていないのは自分のような人間のことを言うんですよって挙手して言いたいくらいでした。

『読むアメーション』も帰りの電車で夢中で読み、家に帰ってからも引き続き一気に読んでしまいました。これからも繰り返し読み返すことでしょう。最初はすごいボリュームだと思ったけど、読み終わってしまうともっともっとと欲が出てしまいます。



今日は朝から八王子へ出向き、甥っ子のエレクトーンの発表会へ行ってきました。甥っ子の演奏だけ見れれば後はどうでも良いんだけどなあなんて思いながら観始めたのですが、意外にも楽しめてしまいました。

まず、圧倒されたのがビデオカメラやデジカメで我が子を撮影する親御さん達の姿でした。背筋を伸ばし脇を絞め、これぞ撮影するときのお手本!って感じの姿勢。人間、必死になると自然と理にかなった形になるものなのですね。液晶モニタを覗いてみると当然まったく画はブレていません。すごい集中力。人間三脚。


それから、ある女の子が弾いていた『宝島』に感動しました。ラマーズ方の「ヒッヒッフー」の「ヒッヒッ」だけでずーっと引っ張り、その間は若干息苦しさを感じるものの、サビの一部分で「フー」となるようなその演奏。聞いていると自然と抽象的なあるイメージが浮かび、最近で一番創作意欲がわいた瞬間でした。

そのイメージを確かなものにしたくて、帰ってすぐに『宝島』の原曲をネットで検索して聞いてみたものの、驚くべきことにそれはまったくの別物。いくつもあるライブバージョンを端から全て聞いてもやっぱり違う。もちろんメロディーは同じなのですが、ヒッヒッで引っ張ってフーなんて全然やっていませんでした。もしかしたらエレクトーンアレンジ特有のものなのかもしれないと、素人さんがエレクトーンで弾いているものを見つけて片っ端から聞いてみたものの、やっぱり違う・・・。

これはいったいどういう事だとさらに検索し続けると、『New Sounds in Brass』という様々な音楽を吹奏楽に編曲したCDシリーズに収録されているものの97年バージョンがわりと近い事が判明(87年バージョンはおしいけどちょっと違った)、そういえば演奏前にその女の子の解説の中に「吹奏楽部で演奏して大好きになったのでエレクトーンでも」みたいな言葉があったような気がします。ネットで見つけた他のエレクトーン演奏者たちは原曲を元にしていて、その女の子は吹奏楽アレンジ(97年バージョン)を元にしていたんですね。

ただ、近いとは言っても、やはりその場で聞いた女の子のエレクトーンでの演奏とは印象がかなり違い、結局どれだけ探しても同じような感覚を得られるものはみつかりませんでした。もしかしたら僕が感じた息苦しさからの開放の心地よさというのは演奏としては「失敗」で、技術のなさや、若さゆえの強引さからくるものだったのかもしれません。もしそうだとすると、あの感覚はもう二度と味わう事が出来ないことになります。そういう事ってあるんですね。ビデオまわしておけばよかった・・・。

今、その97年バージョンを繰り返し聞き、脳内で自分の中での「正解」へ変換。忘れないように口ずさみ叩き込んでいます。


長くなりましたが、まとめると刺激的な出会いはどこに転がっているかわからないという話でした。