中川邦彦最終講義映画の物語組織化

昨日は母校の東京造形大学に『中川邦彦最終講義映画の物語組織化』を見に行ってきました。卒業生はもちろん、中川先生にとっての同僚やかつての同僚などたくさんの人が集まり、その人たちが教室で授業を受けているという不思議な空間でした。犬童一心監督もいらしていました。

今年退職された中川先生が、いったいどのような研究をされていたのかをこの講義ではじめて知ったわけですが、下の写真を見ていただければわかるように、解説を聞かなければ、とても映画の研究とは思えないものでした。解説を聞いたところで完全には理解できてはいませんが。しかし、こういうアプローチがあるのかと大変興味深かったです。


中川先生の授業は一度取っただけだったので、「覚えていらっしゃらないかもしれませんが『診察室』というアニメーションを卒制で作った大山です」とご挨拶をさせていただくと、「あなたのような問題のある生徒を覚えていないわけがないじゃないですか」というお答えが。覚えてくれていて嬉しかったのですが、「問題のある生徒だと思われていたのかぁ」とビックリ。改めて中川先生の授業のことを思い出してみました。


各自が脚本を書き、みんなの投票で人気のある脚本を何本か決め、それを書いた生徒が監督となり、グループ制作をするという映画実習の授業。そこで僕が書いた脚本は

「施設で暮らす重度の脳性麻痺を持つ少女は介護士に恋をしている。その介護士はもてるようなタイプではなく、内気で童貞。失明して施設に入ってきた水商売上がりの中年の太ったおばさんは看護士を誘惑している。ある夜、ついにおばさんが看護士の股間に手を伸ばした頃、少女はベッドで一人静かに泣いていた。少女は翌日子宮を摘出する手術を控えていたのだった。(重度の脳性麻痺をもつ患者にとって性に関することはタブーであり、望まない妊娠を防ぐため、また、生理のわずらわしさをとりのぞくために、こういった処置がされる場合があった)」

というもの。浪人時代に読んだ障害者と性に関する本の知識をほぼそのまま並べただけというものでしたが、当然、一票も入りませんでした。票が集まったところで実現できるのか(そんで完成したところで面白いのかよ)って感じの脚本なのですが、当時の僕は票が入らなかったことに憤りを感じ、「グループ制作はしたくないから一人で作ります」と言ってしまいました。今にして思えば、グループ制作でいかにも学生映画って感じの劇映画を一回くらいは撮っても良かったなあ。ちなみにその後一人で作って提出した作品は、

「モノクロの画面、キャンバスに風景画のようなものが描かれており、筆が走っている。しばらく見ているとそれが逆再生された映像だということがわかる。キャンバスは次第に無地になっていき、絵の具は一つにまとまっていく。キャンバスが完全に真っ白になった頃、そこには一塊の物体が残り、直後、画面内に人間のおしりが現れ、その物体は肛門へと入っていく」

というものでした。つまり、キャンバスの上にウンコをして、それで絵を描いたものを逆再生したという作品です。その講評以来、完全にお蔵入りしています。最終的に仕上がった風景画が美しければ少しは人に見せる気になったかもしれないけど、全然うまく描けなかったのです。というか、本番当日、どうフンばっても全然ウンコが出なくて、ヤギの糞みたいな小さいウンコで無理やり描いたため、絵の具がまったく足りませんでした。


そんな授業だったなあと思い出しながら「そりゃ問題のある生徒って認識だわな」と納得したのでした。その後、ムサビへ向かい、諏訪さんの講演を聞いたのですが、長くなったのでそのことについてはまた後で書こうかと思います。